樋口 由恵 「横浜陸送組」を買収、「鉄道公認運送取扱人」として認可を受ける。
ほどなく 明治製糖(株)川崎工場の輸送業務を受託
「川崎陸送組」と改称する。
空襲による社屋の焼失により、営業停止に追い込まれる。
同社が川崎工場内に倉庫を建設。当社がその荷役業務の一部を請け負う(先名組との2社購買)
「川崎陸送株式会社」設立、法人として出発する。資本金 50万円
明治製糖(株)が神戸工場跡地に倉庫を開設したのに伴い、
当社も同地に神戸営業所を開設し、荷役・輸送業務を行なう。
川崎営業所社屋落成(木造2階建事務所兼倉庫)
明治製糖(株)が川崎工場において精製糖の製造を再開し、先名組を傘下にして物流業務全般の元請けとなり、
原料、製品の輸送ならびに工場内作業を請負い、取扱量が飛躍的に増大する。
明治製糖(株)戸畑工場が精製糖事業を開始したのに伴い開設した。
明治製菓(株)川崎工場の製品輸送量増大に対応した。
当社貨物を集約して一大配送拠点とした。
明治製菓(株)の取扱量が増大したため営業所を開設した。
明治製菓小田原工場において委託加工を行なっていたコカ・コーラ製品の保管輸送業務について指定を受け、
これより日本コカ・コーラの輸送についてシッピング・エージェントとして専属となる。
東京倉庫協会会員有志により東京団地倉庫株式会社が設立。
越中島倉庫の貨物流通量の増加に伴い、江東区深川に倉庫を賃借し深川倉庫を開設する。
日本コカ・コーラ(株)が高槻市に工場を建設するのに伴い、高槻営業所を開設
東京団地倉庫の第一次計画として大田区平和島に大規模団地倉庫を建設することとなった。
当社もこれに参画し、倉庫・事務所を含め810坪を確保して、平和島営業所とする。
日本コカ・コーラ(株)がキャンニングプラントを建設したのに伴い開設、物流業務の受け皿となる。
新和運輸(後のスリーエスシンワ、その後鈴与シンワート)・京浜倉庫との物流業務の緊密化、
作業の合理化を図るため、(株)高島平PDサービスを設立する。
日本コカ・コーラが愛媛青果協同組合連合会に、製品(Hi-Cオレンジ)の製造を委託し、
同社製品の配送に対処するため、松山市に駐在員事務所を開設する。
愛媛県青果農業協同組合連合会が厚木市に工場を建設したのに伴い、
同工場構内に荷役・物流業務の受け皿として開設する。
東京団地倉庫が板橋区高島平に東京北部地区の拠点として建設した板橋事業所内に、
1932坪を確保し高島平営業所を開設する。
明治製菓(株)が関東工場を竣工したのに伴い、同工場構内に関東営業所を開設する。
第一倉庫(株)(清水水市横砂)に清水営業所を開設し、
日本リーバ(株)清水工場の原料、製品の輸送並びに保管業務に従事する。
和歌山県経済農業協同組合連合会などが工場を新設したのに伴い、開設。
保管・荷役・輸送業務を受託する。
本社ビルは昭和25年建設以来、25年を経て老朽化が目立ってきたため新本社ビルを建築することとし、
(株)大林組に設計施工を依頼し、隣接するテンアライド社との共同所有ビルを建設し落成した。
当社の占有面積(共用部分を含む)は431.813m2(130.624坪)落成披露宴には500名余の来賓出席があった。
東京団地倉庫が東京東部地区の物流拠点として葛西団地倉庫を建設したので、
当社はA棟全棟(倉庫面積13,913m2・4,216坪)を借倉し、葛西流通センターとして開所した。
通関業の免許取得により、川崎陸送として正式に通関業を営むこととなる。
江川営業所、上尾営業所、赤穂営業所、山口営業所を開設
これまで同社の業務を請け負っていた会社から関連の仕事に従事していた従業員全員を引き継いだ。
ポストミックスの保管・輸送業務を移管する。
創業80周年を記念して「KRTファミリーフェスティバル@さかど」を開催。
食の安心安全をコンセプトとした専用の流通センターを開設。
近畿コカ・コーラボトリング(株)で製造される製品の保管、輸送業務を受託。現、京都営業所。
当社初の「平成20年度 永年勤続運転者・国土交通大臣表彰」を受賞。
これは「年齢50歳以上で25年以上事業用自動車の運転手として勤続、事故が10年以上、交通違反が5年以上ない人」が対象となる。
2012年(平成24年)2月に京都営業所にも導入。
創業90周年記念・レトロトラック「まるりくくん」を製作。
西日本(5月)東日本(7月)で記念式典を開催。
八代目桂文楽の旦さんとしての側面を持つ「ひーさん」こと創業者の樋口由恵
動画で「まるりくくん」をご覧ください。